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Live 23「1960年代」

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「日本の近現代史」シリーズの4回目です。

同時代を、つまり自分の生きている現在を「戦後」と呼んでいる時代があった。その「戦後」の「戦」とは、日中戦争であり、太平洋戦争であり、第二次世界大戦であった。日本の「戦後」は、1945年(昭和20年)8月15日に始まった。日本の敗戦が世界史に確定された日だ。

76年後の今も「戦後」は、辞書的な意味では続いているはずだ。しかし、今、自分の生きている時代を「戦後」と呼ぶ人はいない。いつ我々は「戦後」を生きることをやめたのだろう?

今回の「日本の近現代史」シリーズの4回目であつかう60年代の日本は、確かに「戦後」の中にあった。しかし、70年代はどうだろう?「戦後」をやめる時代が始まったのではないだろうか?

「戦後」が終焉に向かう時代、それが60年代だったのかもしれない。それは、各人がどこに自分の座標を置いて、何を見るかで変わってくるだろう。

「戦後」を生きることをやめ、我々は何を得て、何を失ったのか?それを考えることによって、日本の未来を再構築するきっかけを掴むことは出来ないだろうか?今回も、Yoshilog Liveは、希望の残り滓を探しに行く。

参加申込みの声を読んで

参加申込み者の声を読んでいると、いったい日本はどうしてこんなことになったのか、敗戦から立ち直り、新しい国を作って未来に向かうはずじゃなかったのか?という思いが言語化さえされない意識下に共有されているように感じる。

今回のライブは、「1960年代を”戦後”というコンセプトがまだ人々の意識に残っていた最後の10年だった」という仮説を立てて、見直していくつもりだが、おそらく、なんでこんなことに?という思いの回答は、”戦後”をやめたことと関係するだろうという予感がある。

改めて言うまでもないと思うのだが、念の為に言っておくと、この「日本の近現代史シリーズ」は、自虐とも言い訳とも修正とも捏造とも全く無縁のところで歴史を見る

珍しい後記

小さい頃から一貫して話をするのが嫌いで、今でも一人で何日でも黙っていられるが(むしろ、それが一番快適)、話すことの効用を認めていないわけではない。

話して初めて「何が分かってないかハッキリ分かる」ということがある。考えているだけでは、自分が自分に誤魔化され続けるのかもしれない。この効用は書くことにもあるが、話す方がスピードでは圧倒的に勝っている。

Yoshilog Liveイベントの 一般論だけど、話すことの内容を「準備」したものと「アドリブ」に分けると、この「準備:アドリブ」の割合が毎回違う。その割合は、トピックによって、あるいは単に準備に割ける時間がどれくらいあったかに左右されてくる。

平均すると、「準備」と「アドリブ」の割合は五分五分くらいだろうか。「準備」と言っても、原稿のようなものを作るわけではない。頭の中に箇条書きしたマップのようなものを作り、それをプレゼン用スライドにするというやり方が自分の中で定着している。国際会議でも全く同じやり方でやってきた。

準備をきっちりして、原稿まで作ることの効用は、話の内容が整理された構造になること、その外延がハッキリして、あちこちに飛び散らかさないことなのだけど、肝心の話し中は、自分をほぼ”音声再生マシーン”にしなければいけないので、話してはいるのだが、頭の中が空白になっているということがある。これは気持ち悪いし、やっていて面白くもない。

事前準備による拘束を意図的に減らすことによって、本番アドリブ率を上げる効用は、話がマシーンによる再生ではなく、生きた人間の話になるし、話してる途中に稀に新しいアイデアが生まれたりする。欠点は、自分が話しているトピックの理解が不十分だと、話がまとまりなく、冗長になる傾向があることだ。

Yoshilog Live では、いろんなトピックをやってきたけど、「準備:アドリブ」「3:7」くらいの方が、スムーズな流れになるような気がする。「日本の近現代史」シリーズなんかは、トピックの性質上、準備率が高くなって、おそらく「7:3」くらいと思う。

今回の「日本の近現代史(4)」が取り扱おうとしていたのは、

日本の人々が「戦後」と意識していた最後の10年が1960年代だったのではないだろうか?「戦後」を生きることをやめてしまったことによって、日本は歩むべきだった道を踏み外してしまったのではないか?その結果、過渡期である1970年代を経て迎えた1980年代、「戦後日本」が「ツルッとした日本」になっていた。しかし、なぜ「戦後」は跡形もなく消えてしまったのか?1964年の東京オリンピック、高度経済成長、学生の叛乱とその制圧、そして知性のイトイ的崩壊。

のようなことだが、これらの重層的な仮説を検証していくためには、準備部分が膨大になり、アドリブ部分が追いやられる。今回はそれが苦しかった。数回に分けて、バラバラに展開していくつもりなので、焦る必要はないのだけど。

料金に含まれるもの:

  1. 録画視聴

 

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